半径0メートルを変える必殺技である。
レジスタンスの名の下にブログをやっているので、たまには自分の考え方なんかを書いていくか…、というエントリー。
まあ、言うまでもないことですけれど、人生は本当にそれぞれじゃないですか。
思いがけず億万長者になったり、生まれる前から地獄が確定していたり。
これ書いている現在は、人生ガチャとか親ガチャなんていう言葉があるくらいに運の要素が非常に強いことは否めないですよね。
スタートがどうであれ、努力でどうにでもなるとか才能も環境も関係ないとか言われそうですけれど、その努力がそもそもできなかったり、続けられなかったりっていう人達が大半じゃないですか。
みんなが出来たら社会的弱者も貧困層もいないんじゃないかと思うし、それどころか生まれたときからハンデを背負う者もいるわけで。
世の中は不公平で不条理だし、現実は理不尽。
嫌なことはその瞬間だけでは終わらず、引きずってしまうのが常じゃないですか。
自分や他人に怒りを向けたり、悔いたり、無気力になったり。
それでも、多くの人間はあらゆる困難や苦難を耐え忍び、抵抗し、進み続ける。
誰しもが闘っているわけです。
スケールの小さい自分もそんな場面は少なからず経験してきました。
そんなときに軸になる考え方が「合理化」です。
時間の経過とともに受け入れたり、あるいはその傷を忘れてしまうより、昇華させることで損失した以上に得られたら得、あるいは徳になると思うのです。
さて、合理化のちゃんとした意味は…。
弁解・正当化のための理由づけをすること。
心理学における合理化とは言い訳とも知られ、否認の一種であり防衛機制のひとつである。満たされなかった欲求に対して、理論化して考えることにより自分を納得させることである。 問題とされている行動・感情について、その事実を述べることを避けるために、一見すると合理的で論理的な正当化して述べることである。
あまりいい意味ではない…!
でも、主張したいのはそういうところなのでいいか。
合理化というと聞こえは良いが、そんなものはただの言い訳じゃないか、失敗や不幸を正当化しているだけじゃないか、と。
ごもっとも、その通り。
でも、それを切り口に進むことができたらそれはそれでいいじゃないですか。
- 夏休みの宿題は期間内に終わらなかったけれど、それ以上にかけがえのない体験ができた。
- あの大会での敗北は、当時の自分では対処のしようがなかった。
- 第一志望にはかなわなかったが、むしろ今の場所のほうが結果的に良かったような気がする。
- 童貞だからこそ、美人局にも引っかかったことがないし、性病にもかかることがなかった。
- 友達がいないからこそ、煩わしい人間関係や度重なる無駄な出費もないからむしろお得。
- 髪がないから洗う手間も乾かす手間も整える手間も必要ない。
- 肥満体型だから冬場は高みの見物である。
- 井の中の蛙だからこそ、些細なことで多くの幸せを感じられる。
なんか…、書いていたら悲しくなってきた気もするが自分のことではない(強調)。
まあ、マイナスの事柄をプラスに変えることができる神の御業というわけです。
合理化の果てに折れない心を手に入れるのも、偽りの自信を身につけるのもアリ。
それが愚かだと、失敗、敗北なのだと認めて、ワンランクアップするのもアリ。
合理化は言い訳のような側面を持つことも事実ではあるけれど、思考を前向きに整理する立派な手法の一つ。
闘い続けるために、前に進むために、過去と決別するために、正々堂々と言い訳するのだ、同志たち…!
でも、その先で合理化よりもいい方法を見つけられたのなら、それはそれで大変喜ばしいことであります。
(なんか当初書きたかった記事と違う気がする…。)
そんなことを綴る、令和元年の大晦日。
それでは、よいお年を。